パチンコ台を目にするまでの単なる思い出話です。しかも長いですよ(笑)
◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○私が子供の頃は、パチンコ・競輪・競馬・競艇、そんなものに金を使う奴は
「ろくでもないヤツ」と思われてた時代です。
主婦パチンカーなんて、おそらく居なかったと思われます。
昔、パチンコは立ってするものでした。
全て手打ち(玉を弾くバネの上の穴に自分で玉を入れて打つ)でしたから
ゆっくりとした時間が流れてました。
今のように全台自動ハンドルに変わってから30年も経ってないと記憶して
います。当然、液晶もデジタルもドラムも有りませんでした。
ただ盤面に釘とチューリップのみ。
打ち出された玉がチューリップに1個玉が入ると次に玉が入るまで
開いた状態が維持されます。ココからがプロの技の発揮しどころです。
普通に1個入れたのではチューリップが閉じてしまいますから
2個入るように打つんですが、さっき言ったように自分で玉を入れなくちゃ
ならないのですから…まずバネの加減を確かめたら、狙いを定め素早く
弾く!すかさず2球目を弾く!…って、そんなに大袈裟なものでも
無かったのかな?ヾ(∇^〃)キャハハハ
立って打つのは疲れると思うのです。ましてや左手に持った玉を
入れる為に台に対して斜に構えなくちゃならない…でも顔は盤面を
見るので…。
冗談で「台の裏に人が居て、ソイツがハズレとか当たりとかのボタンを
押してるんだよ」と言うことが有りますが、昔は本当に人が居たんですよ。
玉詰まりやセットしてた玉が少なくなってきたら補充する為に居たのね。
母が若い頃に、この手伝い(今で言うバイト)をしていたので当時の話を
聞いてみると台の何処かに小さな穴が開いてて、そこから打ってる人の
顔が見れたそうです。
「あいつ、また来てるわ~」とか今の女の子達の会話と変わらない話を
中でしてたみたいですね~
玉詰まりは指でキュッと押してたようです。埃とか付くと詰まりやすく
なるので毎日何万個かの玉を手で洗って乾かしてたんですって!
今は、この玉洗いも自動化されてますね。
セットした玉が少なくなると無くなる前に補充するのですが
そのことで、よく客に「何で入れるんやー!」と叱られたと言ってました。
理由は補充すると重みで台の傾きが変わるからですね。
今の台が何故急に回らなくなるのかは判りませんが頭上で「ザーッ」と
音がした時に変わる感じがするので、やはり台の傾きが微妙に変わって
しまうのでしょうか?
母はパチ屋でバイトしていたのに(いや、していたからこそ?)
父がパチンコに行くのを快く思っていなかったようです。
「おとうちゃんは?」と聞くと「どうせ、またパチンコやろ」と不機嫌そうに
言ってましたから。
私は鬼のように厳しい父が嫌いでしたが時々土産にチョコレートを
ダースで持って帰って来るのは嬉しかったですねぇ。
チョコは御馳走に匹敵するくらい贅沢なもの。普段は駄菓子屋の
チューブチョコすら満足に買ってもらえませんでしたから…(ノ_σ。)クスン
パチンコは悪い大人がするもの。だけどチョコレートの土産…
パチンコがイイのか悪いのか、子供だった私には理解不能でした。
換金するなんて知りませんでしたからね。おそらくチョコは負けた時の
父にとって換金しても大して嬉しくない額?だったのでしょう。
貝塚にシェルピアが無く、ダイエーが活気に溢れていた頃
駅前に金太郎?桃太郎?そんな名前のホールが有りました。
ダイエーに行く時、行きはバスと電車を乗り継ぎ、帰りはタクシーでと
いうのが多かったのですが時々父に送迎をしてもらってました。
父は私達が買い物を終えるまで、その駅前のホールで時間潰し。
きっちり送迎代を母から取ってたみたいですw
買い物を終えて父を呼びに行くのは長女である私の役目でした。
呼びに行ったとき中途半端に玉が残っていると暫く待つ事になります。
…ヒマです。父の足元に転がる3個のパチンコ玉を拾って父の横で
マネして打ってみました。ちなみに当時、私は8~9歳でした。
そしたら…1発目がチューリップに入ってしまって

父に
「お?うまいやないか^^」って言われてチョッとイイ気分♪
これこそが私のビギナーズラックだったんじゃないでしょうか(^▽^)
父の笑顔なんて家では見たこと有りませんでしたから…。
払い出された玉がまたチューリップに入り玉が、『チン!ジャラジャラ…』
パチンコって面白いと思いましたね。これが無ければ、きっと私は
18歳になってもパチンコホールに足を踏み入れる事は無かったでしょう。
この日が将来、私が主婦パチンカーになる出発点だったのかも(笑)
父は9年前に亡くなりました。多趣味な人で何でもプロ級まで達するほど。
元々そういう才能やセンスが往々にして有ったかと聞かれれば答えは否。
でもコツを掴むのは早かったのかも知れません。
粘り強く努力を惜しまない人でした。会社の試験勉強で解らない点が
出てくると未だ小学生の私に何の衒いも無く「これがな~わからんのや」
と教えて欲しいと言う人でした。
何でも努力で自分のものにしてしまう父が最後まで戦ってたのはパチンコ
パチンコだけは負け組だったようです^^;
粘り強すぎて出玉失くして負けちゃうんでしょうね( ´艸`)
亡くなる数年前からパチスロをするようになり、そちらはパチスロ機には
書いていないリーチ目の本を買ってきて覚える努力をしてたみたいです。
パチスロでは勝ててたようですがパチンコはダメだったようです。
一緒に行った母が父の台が全然なのを見て玉をあげたりしてたそうです。
「出玉ごと台を譲ってやっても負けるんやから!」とイツもボヤいてました。
母もいつの間にか主婦パチンカーになってました(^^;)
母と私は一白水星で暦によると水商売向きなそうな。
ギャンブルって水ものですからね…元々そういう気質なんでしょうかねぇ。
次回は少し大人になってからの話しをしますね。
学費をパチンコで?…お楽しみに~♪
って、誰も待ってないか…il||li _| ̄|○ il||li